序章
木々の葉も、明るい緑から、赤や黄色へと移ろっていく。これは、そんな五年前のある昼下がりに起こった、小さくて大きな事件の記録……
1
秋生県北部、神住町。近年ベッドタウン化が進んだこの町の片隅に、ぽつんとひとつ、山がありました。 小道を一時間も登れば頂上についてしまうような、そんな小さな山です。 しかし、そんな小さな山とはいえ、休日には家族連れ、秋にもなると遠足など、そこそこのにぎわいをみせていました。 なにしろこの辺りは、日本有数の大都市圏にあるとはいえ、まだかなりの自然が残っていました。開発の波がすぐ近くまで押し寄せてきているというのに、ここだけはどこまでも森深く、空気は澄んでいたのです。 そんなところなのですから、日々の仕事に疲れきった大人達が自然を満喫したり、遠足の目的地にしたりするのにはまさにうってつけの場所だったのです。 ところで、山は、昔、大きな古墳かもしかしたら東洋のピラミッドではないかとまでいわれていたことがありました。 ほかの山地から離れて、ぽつんとたたずむその幾何学的な姿。素人目に見ても、何かあるなと思わずにはいられません。 おまけに、この地方の伝承には、西の彼方からやってきた王を、この地に葬ったとあるのです。 そんなものですから、考古学ファンはもちろん、考古学者の間にも期待が膨れ上がったのはいうまでもありません。関東地方でこれだけ巨大な古墳があるのであれば、いったいどんな人物が眠っているのだろう。興味は尽きなかったことでしょう。 昔、いわゆる《蝦夷》の国がここにあったのだという説。これこそがヤマトタケルの墓であるのだという説。いや、これは卑弥呼の墓で、邪馬台国はここにあったのだという説。しまいには、失われた聖櫃がねむっているのだという説まででてきました。 そして、ついに数年前、とある有名大学の教授が調査団を組んでやってきたのです。 ところが、第一回目の調査は失敗に終ってしまいました。彼らは、山をくまなく踏査したのですが、納棺室に通じるような入り口はもちろん、それらしい遺物さえも発見できませんでした。 むろん、教授にしても、そんな簡単にことが運ぶとは思っていません。墳墓というものは、そもそも入り口を作っていないか、作っていても埋めてしまっているものだってあるのです。 教授の心には、ひとつの確信がありました。 ここにはなにかある。 いくつもの遺跡を発掘してきたものだけが持つ、経験に裏付けられたカンがそう叫んでいたのです。 それならと、ありとあらゆる科学的な調査が行われました。地中レーダーや金属探知機やらを使っての、本格的な調査です。そのことからも、教授の気合いが解かるでしょう。いずれも、非常に強力で高価な方法でした。 しかし、その努力もむなしく、石室や遺物はなにひとつ発見されませんでした。 不思議に長い調査の果て、《ただの山》であると結論づけられたのは、なんと、つい五年ほど前のことでした。 結果を今か今かと待ち望んでいた全国の考古学ファンは、どうやら誰かの墓ではないらしいと聞き、大いに意気消沈したものです。 しかし、人の興味というのは尽きないもので、その結果が出ても、いや、その結果が出たがゆえに、それまでとは一風変わった系統のファンがやってきました。 山は斜面のゆるい――まるで巨大な円墳であるかのような形をしていました。 木々は頂上付近を除いてうっそうと繁り、そして頂上には「カメ岩」と呼ばれる丸い大きな岩がありました。 そう、今度の興味の焦点はその岩なのです。 でも、この岩のいったいどの辺りが謎なのでしょうか。草原の真中にぽつんと座る岩は、その名のとおり亀がのんびり昼寝をしているようにもみえ、なんともほほえましいものです。 しかし、よく調べてみると、その岩は、その存在自体に謎をはらんでいることがわかってきたのです。 熔岩ドームのようにも見えるこの岩、どうも火山性のものではないようなのです。そしてこの美しい稜線を持った山にしても、同様の結果が発表されたのです。 例の調査の報告書には、断層の運動によって、うまい具合にせりあがった結果であると書いてありました。 じゃあ、山の岩盤があそこだけ地表に出ていて、それが風化したためにあんな形になってしまったのでしょうか。 残念ですがそれも違いました。 例の調査の最終段階、教授は山腹、そして、山頂の一部を掘ることに決めました。そのとき出てきた岩盤と「カメ岩」は、似ても似つかぬものだったというのです。それどころか、さらなる調査の結果、その岩と同じものはその近隣の山々にさえ存在しなかったというのです。 ところで、昔、麓の村では、その岩に触れてはならぬという掟がありました。しかも、触れたものには、数日のうちに死がもたらされるということなのです。 傍から聞けばなんとも物騒な話ですが、実は、触ったものが数日中に必ず死んでしまったということが大昔にあったという伝説からきているそうです。 人々は、この伝承にひどく興味をそそられました。 最近は何も知らない観光客やら登山者やらがべたべた触るようになりましたが、それらしき死者は一向に出ません。それなのにです。 諸説入り乱れるのは世の常ですが、このケースでは、とくに二つの説が人気を博しました。宇宙人説と、古代神説です。 前者を支持する人々は、この伝承を次のように解釈しています。 「これは、宇宙人が宇宙から持ってきた目印だ。数日のうちに死ぬのは、この岩が宇宙船にその存在を知らせるために強い放射線を放っていたからに違いない。最近人が死なないのは、宇宙人の技術革新によって目印が要らなくなり放置されたからだ。年月によって放射能が失われるのはいうまでもないことだろう。」 そして、後者の理解はこのようなものでした。 「これは古代信仰のなごりである。そう、この岩は古代信仰における御神体のようなものだったのだ。日本において、岩や山が御神体とされるのはよく見かけられるケースだし、すくなくとも、昔の人が不自然なまでに美しいこの山に何らかの感情を持っていたと思っても間違いはないだろう。岩に触れたものの死が、直接、古代神の呪いの結果であるとまではいえなかったとしても、その伝承を信じきった人々が代わりににそれを遂行してしまったという例はいくらでもある。」 しかし、そんな話題も、いつしか下火になってくるものです。つい二、三年前まで、あんなに騒がしくいっていた人々は、いつかその岩の存在さえも忘れようとしていました。 数年前には、週末にもなると全国からファンたちが集まってきて、自説を披露しあったものでしたが、それも今となっては昔の話です。 辺りは静まり返り、山は昔の静けさを取り戻していました。もはや、近くの小学生たちが秋の遠足に上るためだけのものになっているようなのです。 でも、いくら忘れられたとはいっても、この山に足を踏み込む誰しも――あのころのわたしでさえも――が、何かしら神秘的なものを感じてしまうのには変わりありませんでした。そう、ほかの山にはない、「何か」の存在を。
2
その日、山には町の小学生達がやってきていました。秋の遠足として、先生に連れられてきたのです。 どこまでも高い空。草原をかけぬける清らかな風。そして、その風の、なんとおいしいことか。美しい自然の中で、子供達は、その美しい空気を吸いながら、あちらへこちらへとおおいにはしゃぎまわっていました。 秋晴れというのはこういうものを指します。そして、そんな空の下で、みんな思い思いのことをして楽しんでいたのです。 「せんせーい。このまぁるい岩、なぁにぃ?」 そんななか、ある少年がぺたぺたと、草原のまんなんかに佇んでいる丸く大きな岩をたたきながらたずねました。 「『カメ岩』っていって、触るとたたりがあるって話だよ。」 担任の先生なのでしょうか。大学を出てすぐといった傍らの女性が、にっこりと笑って答えました。 「でも、先生、触ってもなんにもおきないよお。」 「あはは。そうね、」 先生は明るく笑っていいました。 「もちろんその話は、この辺に伝わっている迷信だよ」 「迷信ではない。」 そのとき、年老いた声が背後から響きました。ふりむくと、先生のうしろには、杖をついたひとり老婆がいたのです。こしはまるむしのように曲がり、しわの深く刻まれたその顔には嫌悪の念があらわになっていました。 「きゃっ」 先生は飛びあがらんばかりに驚きました。 「なんだなんだ?」 その声を聞きつけて、一人の男が駆け寄ってきました。どうやら先生の同僚のようです。 「なんだ、またあんたか。」 彼は老婆の顔を見るなり、顔をしかめました。 「坂島先生、なんです?あのおばあさん」 「ああ、あのおばあさんね、」 坂島先生は半ばあきれたような口調でいいました。 「うちが遠足に来ると、どういうわけか必ずやってきてね。あの岩の話を延々とするんだよ。」 「この様子じゃ、たぶん、他の学校が来たときもなんだろうな。この前どこかの先生が同じようなことをぼやいていたよ。」 「なんじゃと、おぬしら」 老婆は目をむいて先生たちをにらみました。 「それが親切に忠告してやっとる者への態度かえ?」 「な、なんですか、おばあさん」 「いいかい若いの、わしは年上のもののいうことをきけとか、そんな堅いことをいうつもりはないんじゃ。」 老婆は悲しそうにつぶやきました。 「ただ、くだらぬ先入観を持たずに聞いてもらえればいいんじゃ。」 「い、いったいなんなんです?」 「中山先生、いけませんよ、相手をしたらつけあがるだけです。」 「なんじゃと、なんと無礼なことをいう。」 老婆は坂島先生をにらみつけていいました。 「おぬしのように偏狭なものが人を教える立場にあろうとは。世も末じゃのう」 「なんですと」 でも、老婆はその怒りを無視して、先生のほうに向かいました。 「ほう、こっちの若いほうの先生や、あんた、名前はなんという?」 「え、中山ですが」 「ほうほう、中山先生か。ぬしはこの男と違ってしっかりしているようだから伝えておこう」 「え?…と、いわれましても」 「なに、たいしたことではない。」 老婆ははじめて微笑を見せました。 「ぬしを見ていると、あの滝野とかいう若造を思い出すわ。」 「やつも、この小汚いばあさんのいうことをしっかり聞いてくれたものよ。心の中でどう思っていたかまでは知らぬがな。」 「去年もその前も会ったというのに、実によく耳を傾けてくれたものよ。」 「お、おばあさん?」 「あ、ああ、すまなんだ。どうも老いてくると、話がよそに行ってしもてかなわん。」 「は、はあ」 先生がうしろをふりかえると、坂島先生はそれ見たものかという顔をして、腕を組んでいました。 「そう、ぬしに聞いてもらいたいのはただひとつのことじゃ」 「はあ」 「なに、そんなに難しいことではない」 不安そうな顔を見とって、老婆はやさしくつけくわえました。 「ただ、あの岩、『カメ岩』に開いた穴にだけは、誰一人として入れるでない。それだけなのじゃ」 「『カメ岩』にって、」 先生は大岩をふりかえりました。 「穴なんてどこにあるんですか?」 「それはわからぬ。誰にもわからぬのじゃ」 「どうして?」 「穴は突然現れる。何の前触れもなくじゃ」 もちろん、にわかに信じられるものではありません。でも、坂島先生のてまえ、なんとか聞きとおさなくてはいけません。先生は、話がおかしな方向になってきたことに困惑していました。 そんなとき、岩を探っていた一人の子どもが声をあげたのです。 「ああー。こんなところに穴があるぞ。」 偶然か必然か、どうして今まで見つからなかったのか不思議なくらいなのですが、少年の目の前、地面すれすれのところから、子ども一人かがんで入れるくらいの意味ありげな穴がのぞいていたのです。 「おかしいな。こんな穴、この前来たときにはなかったぞ。」 駆け寄った坂島先生は首をかしげました。例の調査隊がこのような穴を発見したという話は聞いていなかったですし、ましてや、毎年のようにここに来ている先生が気付かないはずはありません。 それでもこの穴は、素人目にも、とても古いもののように見えました。 「おばあさん!」 「ああ、あれが伝説の穴なんじゃ」 ふりかえった老婆の顔は、みるみる青ざめていくところでした。 「あれに入ってはならぬぞう」 「決して入ってはならぬのだぞう」 老婆はうわごとのように繰り返すのです。 「あっ、待ちなさいっ!」 先生が穴へと視線を戻すと、まさに、四人の生徒が、その穴の中に入って行こうとしているところでした。 「危ないから、勝手に入っちゃいけません。」 老婆がどうとかは、もう関係がありません。こんな古びた穴、中に危険なものがないはずはないのです。 しかし、駆け寄ったところで時すでに遅く、子供たちは穴深くもぐりこんでいました。 先生たちは彼らを戻そうと、穴の口から手を差し伸べましたが、もうどうしようもありません。 「危ないわよっ、みんな。戻ってらっしゃい!」 先生の叫び声が洞の中をこだましました。
しかし、不幸だったのは、少年たちには、何が危ないのか実感できていなかったということなのです。 「平凡」な日常に飽いていた彼らは、ただただ、スリルを求める好奇心のみに突き動かされて、その穴の中へと入っていったのです。 そのことが、どんなに恐ろしい事態を呼び起こすことになるのか、もちろんそのときには、誰にもわかっていませんでした。 先生はもちろんあの老婆の理解でさえ、事態の核心からは程遠かったのです。
3
「わー。なんにも見えないやぁ。」 「やーい、雄二、暗いの怖いのか?」 「ちがわい。楽しんでるんだい。」 先生の気も知らず、少年たちは無邪気に奥のほうへと入っていきました。 「きみたちーっ!戻ってきなさーいっ!」 かすかに先生の呼び声もしますが、子どもたちが聞くはずもありません。どんどん奥のほうへ入っていってしまいます。
「ああ、終わりじゃ、もうお終いじゃあ」 老婆は目をむき、髪を振り乱し、天を見上げて叫びました。 「いったい、あの中はどうなっているんですか?」 老婆は先生をきっとにらんでいいました。 「知らぬのか、この地の伝承を」 「『西方から来た王』ですか」 突然あんな穴があいてしまっては、さすがに無下に切り捨てるわけにもいかないのでしょう。坂島先生が居心地悪そうにやってきました。 なにより、地元の人のほうがこの辺りの地理に通じています。別の入り口でもわかればそっちから助けに行けるでしょう。 「先生、救助隊は?」 「高野先生が携帯で要請しました」 「しかし、そうすぐに来れるとは限りません。それよりも、あの穴の情報を少しでも多く得るほうが先決でしょう」 「ほう、見直したぞ、若造」 「若造はやめてください。坂島といいます。ところであなたは」 「おお、忘れとったわ、この下の村の《たつ》じゃ」 「じゃあ《たつ》さん、この穴がどこに通じているかご存知ですか?」 「おぬしが、外に出る穴のことを聞いているのなら、ないとしか言えぬな。わしの知る限り、口はあそこだけよ」 「そ、そうですか」 坂島先生は残念そうに頭を掻き、立ち去ろうとしました。 「慌てるでない。わしは子どもの頃、悪ガキ仲間と一緒に一度だけ入ったことがあるんじゃ」 「そ、そうなんですか?」 「ああ。幸い、恐くなって早々に逃げ出したがな」 「じゃあおばあさん、あの中はどうなっているんですか?」 老婆は、何かにおびえるように、しかし、一言一言をかみ締めながらいいました。 「そうさね、細い道を進んでいった先にはな、広い、そう、めったら広い洞があるのよ」
「ん?おっ!ここ、広くなってるぞ。」 さっきから、この緩い下り坂の穴は何とか立って歩けるくらいの広さにはなっていましたが、その暗闇のむこうには、何かもっと大きな空間が広がっているように思われました。そう、この音の響き方からすると、それはかなり広いもののように思えるのです。 「しかし不思議だよなぁ。俺たち、まっすぐ横に進んだって思ってたのに、こんな広そうなところに出るなんて。」 そういわれれば、まったくそのとおりでした。「カメ岩」は山の頂上にあったはずです。どうしてこんなところがあるのでしょう。 「気付かないうちに下っていたんじゃないの?この洞窟。」 「そうか。うん、そうだよなあ。」 たしかにそうかもしれません。夢中になったせいで道が下っているのに気付かなかったのかもしれません。 子どもたちはそんなことを考えながら、更に奥へと進んでいきました。 まるで、何かに惹かれるかのように。
「そこでな、わしは恐ろしいものを見たのじゃ」 老婆は震える身体を抑えるようにしていいました。 「おそろしいもの?」 「そ、それは、」 「それはいったいなんなんです?」 「壁から何からがぼおっと光りだしてな、浮かび上がってきたのじゃよ、」 自分を振い立たせるかようにいいました。 「《あれ》がよぉ」
「いてっ。」 子どもの一人が声をあげました。 「おい、どうした?」 「何かここに柱みたいなのがあるんだ。」 子どもたちはその柱を手で確かめました。それは、氷のように冷たく、すべすべしていて、所々角張っているようでした。 「クリスタルって、こういうやつのことなんじゃないか?」 彼らは、ゲームや漫画に出てくるそれを思いました。 「しかし、なんでこんなとこに、こんな大きいのが…。」 そのとき、彼が言葉を終えないうちに、不思議なことが起こったのです。 「な、なんだよ。」 「うわっ。地面が。」 子どもたちの足元、それだけではありません。洞窟の中、そのホールの床全体が、淡い光を放ちはじめたのです。 子供たちはその光景に心を奪われました。野球場ほどもありそうなその空間には、大小さまざまの《クリスタル》が浮かんでいたのです。 「すげー。」 あまりの光景に、その異様さも忘れ、子供たちはそれに魅入ってしまいました。前だけではありません。右にも、左にもその光景は広がっていました。野球場でいえば、セカンドベース辺りでしょうか。そこにある大きな《クリスタル》をひとつの中心にして、浮いているのです。そして、彼らのうしろ、ホームベースには、 「うわあっ」 「どうした、雄じうあっっっ。」
その柱の中には、若い女の人が閉じ込められていたのです。
「え、女性の死体が?」 坂島先生は飛びあがらんばかりに叫びました。 「今思えばおそらく死体だったんじゃろう。」 「じゃがな、あのときは、氷に閉じ込められた身体だというのに、今にも目を開けそうなほどに生き生きとしていたように思ったものじゃ。」 老婆はその光景を思い出したかのようにぶるっと震えた。 「そう、鼓動の音が聞こえそうなほどにな」 「でも、それがあそこに入ってはいけないというのとどう関係があるんですか?」 「ぬしらにはわかるまい。光る洞の奥深くで、氷漬けの人間に出会う気分なんてな」 老婆はふうと息を吐き出しました。 「じゃがまあ、本当に恐ろしいのは、それから先なのじゃよ」
その十分後、心配そうに見つめる生徒たちの目の前で、『カメ岩』消失。 同時刻、関東地方全域を強い地震が襲う。
そして五年、すべては闇に葬られました。
忘却という名の、闇に。
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